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「逃げる人」からの今の私。:高校3年生の成長

12月に入り、高校3年生たちにとっては一つ一つの学校行事が高校生活最後の思い出となり、少しずつ卒業に向けての準備が始まってきています。
本校は、推薦入試を活用して進学していく生徒が全体の約8割を占める学校です。11月の1ヶ月で多くの生徒たちが自分の進路を決め、次の道に進む準備を進めています。
そんな中、先日のPTA(保護者会)にて高校3年生の女子生徒が保護者の集まる全体集会の中で高校生活での学びを証しました。
3年間の高校生活で、何を学び、何を感じたのか。決して楽しいことばかりではなかった3年間の中でどのように成長を感じているのでしょうか。


「逃げること」の始まり

私は高校に入って初めて、逃げるということを学びました。

この逃げる、というのは物理的に何かから逃げるということではなく、自分が今直面している問題や、考えなければならないことから逃げる、避ける、ということです。それまで私は、例えば新しいことを始めるとき、易しくて行きやすいようななだらかな道と、比較的登るのが難しい険しい道があった時、できる確証はなくても難しい道を選ぶようなタイプでした。
また、周りの人と同じことをするのが嫌いで、ほかの人とはちょっと違うような選択を好む人でした。ですので、他の人が頑張ろうとしないことも頑張ってみたり、結果に関係なく何かとチャレンジすることも好きでした。

しかしあるタイミングで私は、なぜ頑張る必要があるのか、と疑問を持ち始めました。頑張るということが何かに縛られているようで、急に嫌気がさしてきたのです。高校二年生の時でした。そして1度、2度と自分にとって楽な道を選択するようになりました。いわゆる、私にとって「逃げること」の始まりです。

「頑張れない人」に

一度逃げることを覚えると、いかに適当に過ごすことが楽なのかが分かり始めました。何も考えなくていいからです。実際に私はだんだん物事を深く考えたり、また逆に深く考えなければならないことに面倒臭さを感じ始めました。ほどほどにやって、人並み程度にがんばって、退屈になったらやめる。周りの人がやらないのだったらやらない。

それは、私と神様とのかかわりにおいても例外ではありませんでした。

この忙しい寮生活の中で個人的に聖書を読んだり、神様のことを考える時間を設けたりすることは簡単なことではありません。私は次第に神様とのつながりからも逃げていきました。個人的なお祈りや、賛美歌を歌うことは、昔から教会へ通っていた私にとっては習慣的に身についていたことだったので特に大きな変化はありませんでしたが、自主的に参加する祈祷会や、前は何の躊躇いもなく行っていた宗教プログラムに対しては、行く意味すらも感じなくなっていました。そして何より、頑張らない選択をし続けるうちに私は知らない間に「頑張れない人」になっていました。

何に対しても一生懸命になれず、夢中になることがありませんでした。短期的な喜びや、目の前にあるすぐ届きそうな幸せをつかみとることによって自分は今幸せだと、錯覚していました。今思えば、そう思うことで自分の弱さを隠そうと、そしてそんな弱い自分を守ろうとしていたのだと思います。
しかし私は、頭ではわかっていました。自分の弱さから逃げるということが正しいことではなく、また逃げたところで限界があるということを。そして必ずどこかで立ち直らなければならないということも。しかしそう思っていながらも楽な選択をすることに慣れていた私にとって、立ち直ることは難しいことでした。周りの人に助けを求めるのも一つの方法でしたが、自分のこの弱い部分を誰かに知られるのが嫌で、誰かに相談することもありませんでした。

「放蕩息子」

そのような状態でゆらゆらと時間が過ぎ、気付けば私は2年生の最後に、聖歌隊の隊長になっていました。約90名のメンバーが所属している聖歌隊を率いる隊長は、今まで以上に責任が伴い、また周りに影響を与えやすい役割です。私は今、この逃げている自分の姿ではとても務まるような役割ではないと、自分を見つめなおすべきだと思いました。しかしどうすればいいのかがわかりませんでした。この時の私はある意味、聖書の中に出てくるあの「放蕩息子」に近い状態だったでしょう。

広島三育学院高等学校の中で一番人数の多い活動が聖歌隊

幸せな恵まれた家庭で育ったにも関わらず、父のもとにいることに飽き飽きし、父が生きているにも関わらず失礼を承知で父の財産の分け前をもらい、逃げるように自分の家を出ていった2人兄弟の弟。
自分の家とは対照的な刺激的な街に向かった彼は、一時的な楽しさや快楽のために父からもらった財産をすべて使い果たしました。彼のお金が減っていくと同時に、お金に寄っていたかっていた友人たちは減っていき、お金が尽きるころに弟は一人になっていました。
お金も友達も、助けてくれる人もいなく、もう何もかもなくなった彼は、食べ物を得るために働いていた豚小屋で家のことを思い出します。かつては苦痛だと感じていた父のいるあの家の環境が彼にとっては一番の幸せだったということを。
弟は家に帰る決意をしますが、自分勝手に過ごしてきた身として父に合わせる顔がありませんでした。使用人として雇われる覚悟の上、ぼろぼろの状態で家に帰ってきた息子に父親は言います。

「急いでいちばん良い服を持って来て、この子に着せ、手に指輪をはめてやり、足に履物を履かせなさい。 それから、肥えた子牛を連れて来て屠り(ほふり)なさい。食べて祝おう。この息子は、死んでいたのに生き返り、いなくなっていたのに見つかったからだ。

聖書:ルカによる福音書15章22節

私はこの放蕩息子である弟と、自分がとても重なって見えました。

もちろん彼のように大胆に放蕩していたわけではありません。しかし自分がしたいように生きて、家族や神様のことを考えずに過ごしていたのは同じです。何が一番幸せで、何が一番大切であるかを忘れていたのも同じです。
結局自分からも逃げてどうしようもなくなった時、思い出すのは温かい神様の愛なのであって、神様はそれに気付いてほしいと願われておられると思います。

神様だけではありません。私たちの周りの家族や、友達など自分を大切に思ってくれている人たちもきっと、私たちが本当に幸せになってほしいと心から願っていると思います。そして私たちが神様に立ち返るとき、私はかつての幸せの何倍もの幸せが、私たちに降り注がれると思っています。

話は戻りますが、私がどのようにして立ち直ればいいのかわからなかったあのとき、私は家族にたくさん助けられました。家族は私が放蕩息子のように迷い、神様から離れていた状態であっても、いつも変わらず祈りと言葉で励ましてくれました。自分だけではなく、周りから見ても痛々しかったであろう私の姿も受け入れ、また本当に幸せになれるように助けてくれました。

強くなった自分

今、私はもう自分から逃げていません。今私には、以前と違い一生懸命になれるものがたくさんあります。もちろんコワイヤーもその中の一つです。たくさん先生や役員、メンバー一人一人に助けられながら、コワイヤーの隊長としての活動を積極的に取り組むことができています。また、賛美しているメンバーを見ると一人一人が本当に神様に祝福されているなと心から感じ、思います。

また今の私には、夢があります。目標もあります。そしてそのために今からできることは何か、少しずつ考えながら進んでいます。

逃げることは簡単だけれど、それは幸せへの近道ではありません。

自分の持っている弱さから逃げるのではなく、周りにいる誰かに、そして神様に頼るということを私は学びました。私は今おかれているこの状況に、常に感謝を忘れない人になりたいと心から思います。

神様は待っておられます。皆さんがどんなに神様から離れることがあろうとも、神様は皆さんがご自分のもとへ戻ってこられるのを待っておられます。そして神様に立ち返った時、神様はこうおっしゃるでしょう。

「息子よ、よく帰ってきた。」

高校3年生女子による証でした