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[行事紹介]"修学旅行"ではない!三育の"修養会"

なぜ新潟!?

どの学校でも、生徒たちにとっての一大イベントの一つになるのは「修学旅行」ではないでしょうか。
ある学校では古都・京都を巡り、ある学校では沖縄のビーチを楽しんだり、ある学校では東京観光ついでにディズニーリゾートで楽しんだり。また、近年では海外に出ていく学校も増えてきているのではないでしょうか。

そんな中、広島三育学院高校の修学旅行は"修学旅行"ではなく、"修養会"と呼び、日本有数の豪雪地帯である新潟県妙高市の休暇村にて、スキー講習を中心とした4泊5日のプログラムをおこなっています。

新潟県妙高市でおこなうスキー修養会

三育の高校生たちの中でも修養会に行く前は、他校の生徒たちが東京ディズニーランドで楽しんでいる様子を引き合いに出して、「なんでわざわざ雪山に行くんですか!?」と、嘆く生徒も少なくありません。

それでも、毎回修養会が終わると生徒たちは「学校生活で一番楽しかった!」と感想を口にするのです。

なぜなのでしょうか。
修養会に参加したある高校2年生の証にその答えが隠されています。
一部を紹介します。

楽しかった!!

以下、修養会の報告会プログラムでの生徒による証より一部抜粋。(22年度)

スキー修養会、期待してなかった…。

まず初めに、皆さんに報告したいことがあります。
修養会、めちゃくちゃ楽しかったです。
きっと私の高校生活最大の思い出といえるものだと思います。
それくらい、本当に楽しかったのです。
しかし、私は最初修養会に期待しておらず、まったく楽しみではありませんでした。

理由はいくつかあります。
まず、バスで片道 12 時間の移動に耐えきれるとは思えなかったし、12 時間もかけて山から山に行くことに疑問を感じていました。
そして何より、私は何日もずっとスキーをし続ける"修養会"ではなく、みんなといろんなところを楽しく観光する"修学旅行"を求めていたのです。

私は高校から三育に入学したため、中学までは一般の公立校に通っていました。そのため、中学では友達とみんなで京都などの観光をし、ただただ遊んで楽しい思い出を作る修学旅行を経験しました。
修学旅行はすごく楽しかったです。
なので、私はもう一度、次は三育の友達と一緒に修学旅行をしたかったのです。
が、案の定その願いは叶わず、私はしぶしぶ修養会に行きました。
しかし、冒頭にも言ったように、私にとって修養会はものすごく楽しく、大切な思い出となりました。

広島から新潟へのバス移動は約12時間の長旅

「修学旅行」と「修養会」の違いって?

「修学旅行」「修養会」は似て非なるもので、観光とスキーの違い以外に決定的な違いがひとつあります。
それは信仰の有無です。
修養会には大きく分けて5つの目的があり、そのうちの4つには多少違いはあれど、 普通の修学旅行の目的と大差はありません。
しかし、5つ目の目的である「信仰を深め会う機会」というのは三育の"修養会"特有のものだと思います。
私は神様を信じるという点において、信仰はありませんが、この5つ目の目的である「信仰を深め会う機会」が、私が修養会を最高の思い出だと感じる理由に深くつながっているのです。

学年の仲が深まった

修養会が楽しかった要因の一つとして学年の仲が深まったことが大きいと思います。
学年全体で仲良くなろうとする、お互いに寄り添い合おうとする意識が見られ、全体的な雰囲気がとてもよかったです。
レクリエーションやディスカッションなど、みんなで交わる機会が設けられていたり、バスでの移動時間や宿舎での空き時間に積極的に友達と過ごそうとしたり、さまざまな要因が重なり合って、みんなの仲が深まることにつながったのだと思います。
しかし、本質的な理由は別のところにあると思いました。

スキー講習だけでなく、レクリエーションやディスカッションを通して交流を深める

"祈り"の力

修養会中は毎晩自由参加の祈りの組があり、その時に私は今までほとんど喋ったことがない人と一緒にお祈りをする機会がありました。
和気あいあいと喋ったわけでもなく、深い話をしたわけでもありませんが、お互いに祈りあったことで歩み寄れたのではないかと感じました。

「祈りは人と人との仲を深める。」

これは高校入学当初、初めて友達とお祈りをした時からずっと、常日頃から思っていたことなのですが、修養会ではより顕著に感じることができました。
コミュ二ケーションツールとしてこんなに便利なものはないと思います。
さらにお祈りの一番いいところは、神さまにお祈りをするということを通してその人への想いをダイレクトに伝えられることにあると思いました。
私は日常生活でも、頻繫にその人 に対する想いや愛を伝えるほうですが、それでも常日頃から全部を伝えることはできません。
なんでもない日に、友達に突然「いつも勉強や音楽活動、寮役員などの仕事を頑張っていて偉いね。尊敬しているし感謝しているよ。これからも健康に気を付けて頑張ってね。あなたに神様からの祝福が与えられますように。」なんて言わないし、ましてや関わったことのない人だと、感謝や愛を伝えるどころか喋りかけもしません。
しかしお祈りの中だと、今まで喋ったことがなかったとしても、不思議と言えてしまうのです。
一緒に祈り、神様を通すことによって、いつも思っていても言えなかったことを言えたり、その人への想いをより 強く直接的に伝えたりすることができると思うのです。
それと同時に、一緒に祈っている相手からの想いや、感謝も受け取ることができます。

普段話したことない同級生とも膝を突き合わせて祈り合う機会

神様を信じている、信じていない、に関係なくお祈りを通して相手とより深い関係を構築することができると思いました。
神様を信じている、信じていない、に関わらずお祈りには力があると思いました。

修養会が最高な理由

修学旅行と違うもの、それはみんなで体験した祈りと讃美、そして信仰を通した友情。
修養会中の賛美や祈りなどの「信仰を深め会う機会」が私たちの関係をより深いものへと導いたのだと強く実感したし、これが私たちの修養会を最高のものにしてくれたのだとも思いました。

最高の思い出となった"修養会"

「同じ思いとなり、同じ愛を抱き、心を合わせ、思いを一 つにして、わたしの喜びを満たしてください。」

聖書 フィリピの信徒への手紙 2:2

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